むし歯治療・歯周病治療・小児歯科・インプラント・矯正歯科・審美歯科なら熊本市北区武蔵ヶ丘の「こじま歯科」へ

幼少期のこと

とにかく”わんぱく”で、絵にかいたような「やんちゃ坊主」だったみたいです。その頃の話を聞くと「すさまじかった…。」と言われます。小学校1年の頃だったと思いますが、ある日母が学校から呼び出されたとのこと。なんだったのか聞いてみると、担任の先生から「クラスを変えてほしい」と申し出があったそう。今思うと、担任の先生がさじを投げてしまうほど“悪がき”だったのか…と思いますが、「決して弱いものいじめだけはしていなかった」これだけは自信をもって言えます。
(※そんなやんちゃな私も、ピアノやドラムを習っていました。意外だとよく言われます。)
医院でも最近元気なお子さんが多いですが、自分も小さい頃そうだったからか、決して怒ったりイライラしたりしません。子供は元気な方がいいです。


家族のこと

父は医者でした。夜中でも呼び出されれば病院に行って町を走り回る姿に、子供ながらに「大変だなぁ」と感じていました。しかし一方で、父が患者さんやその家族の方から「ありがとう」と感謝されている姿をよく見ていました。ですから「お医者さんで大変だけど、すごい仕事なんだ」と私なりに理解していたように思います。父のそんな姿を見て誇らしくも感じていましたね。「医者になりたい」と思いだしたのは間違いなく父の影響です。


中学~大学入学まで

中学時代、勉強はほとんどしない、でも成績の良い子でした。まわりには「七不思議だ」とよく言われていましたが、担任の先生には「小島の勉強は理にかなっている」と言われ授業態度を誉められたのを覚えています。けっして「品行方正・優等生タイプ」ではありませんでしたが、授業中は先生の顔をみて集中して話を聞いていましたし、テスト前だけは短期集中で勉強しました。この「集中力」は、今歯科医師としてもとても役立っています。高校時代は熊本の有名校に進学しましたが、学力についていけず、部活(空手部)と
バンド、そして友達(悪友)と遊ぶ毎日…。本当に楽しい青春でした。この後、試練が待っているとは夢にも思っていませんでした。


人生をかえた大学受験

高3になり、夢は医者になることだったので医大をめざして受験。
「医者になりたい」という強い思いで、医学部合格に挑み続けて数年間の浪人生活。楽しみながらも、どこかで、自分は一体どうなるんだろう…という不安と、心の中にぽっかりと穴が空いたような満たされていない日々を送っていたある日。
いつもお世話になっていた尊敬する歯科の先生(親友の兄)にお酒の席で、ぼそっと言われた「歯科も捨てたもんじゃないよ。」という一言。それまで「医科は諦めて、歯学部に言ったらどうか」と、親や友人からも何十回と言われ続けていましたが、医者になりたい想いが強かった私はそれを聞き流していました。
しかし、不思議なことにこの時だけは、先生の言葉が自分の中にすっと入ってきて「そうかもしれない」と素直に受け止めている自分がいました。この時のことは今思い出しても、本当に不思議としか言いようがありません。その後も歯学部の受験要項など調べていても科目が増えるなど厳しい状況。ですがこの時も「大丈夫」という自信しかありませんでした。
今回受からなければ、「当時していたアルバイト先の塾の講師として就職」という決意までして挑んだ受験。無事合格しました。
あの時、あの場所で、先生にあの言葉を言われていなかったら、もしかしたら今の自分はいないかもしれません。本当に感謝です。


この町に開業して

この武蔵ヶ丘という地に開業して25年。開業当初は新興住宅地も多く、本当に子供の多い町でした。患者層も半分が子供といった状態でとてもにぎやかでした。しかし25年も経つと子供たちも成人し、子供の数は減少、そして高齢化も進んでおり、近年は「少子高齢化」を肌で感じている毎日です。
ですが、うれしいこともたくさんあります。
小さい時に来ていた子が、成人してまた来てくれたり、子供を連れて来たり…。この地で25年続けてきたからこそ体験できる、最高の幸せを感じる瞬間です。(と同時に、自分も年をとったな~と感じますが。)


これからのこと

60代手前にして、今思うこと。これからもスタッフとともに学び、技術を磨いていきたい。そして皆さんに最適。・最良の治療を提供し続けていきたいということです。皆さまの「ありがとう」が私の活力です。これからもどうぞよろしくお願いいたします。



-----長々とお付き合いいただきありがとうございました------